触れて、キスして。 −4−

「お父さんになんて言えばいいの……!」

 そう言って、クソババアはあたしの腕をぐいっと掴んだ。力の加減なんてない。ふとあたしはママチャリに乗ったオバちゃんを思い出した。彼女にも腕を掴まれたけれど、あれは力づけようとしたもの。クソババアから感じるのは苛立ちだけだ。

「立ちなさいよ。うちに帰るのよ!」

 クソババアは苛々と言った。

 なんという、ちがいだろう。あのオバちゃんとクソババアは同年代に見える。あの下町のオバちゃんは、すっぴんだった。スーパーの特売品を買い、身に着けるものはそのへんで買っただろうもの。クソババアは、綺麗に化粧をして隙がなかった。銀行に勤め、出世コースから外れていない男の妻らしく、ブランドもので身をかためている。……でも、どっちがマシなんだろう?

 クソババアが会計している間に、あたしはふらふらと病院を抜け出た。

 脚の傷は麻酔が効いていて、まだ痛みはなかった。歩くたび、引き攣れるかんじがするけれど、気にしていられない。

 家に、帰ってたまるか。

 それだけしか、考えてなかった。

 電柱の住所表示を見て、ここが葛飾区の鹿目だということがわかった。道を聞いて、鹿目駅に辿りついた。

 券売機の前で、ブロンズ色のショルダーバッグから財布を出そうとして、あたしはどきりとした。
 財布がない。

 クソ! やられた。

 ……ケンゴだ。ケンゴが盗ったのにちがいなかった。

 お金がない。なのに、携帯は電池切れで、これでは友だちを呼ぼうにも呼べない。

 


 鹿目駅の階段に、腰を掛けた。

 ……どん底だ。

 あたしは途方にくれて、ぼんやりとサンダルから覗いた爪先を見つめた。

 ペディキュアが剥げてる。一日前は、綺麗なピンク地に赤い花を咲かせていたのに。もう見る影もなかった。

 ぽつん、ぽつんと水滴が落ちてきた。

 雨だ。

 ホント、嫌になる。行く宛てもなくて、おまけに雨まで降ってくる。こういうの、なんて言うんだっけ? 泣きっ面に雨だっけ?

 まるであたしは価値のないゴミみたいだ……。そう言えば、あのクソオヤジもあたしのことをそう言ってたな……。

 生きながら、ゴミ。生きているけど、ゴミ。

 ああ、なんだ、あたし、生ゴミか。

 そう思ったら、笑えてきた。

 そのときだった。

「きみ、どうしたの……?」

 男の、やわらかい優しい声が上から降ってきて、あたしは顔を上げた。

 男の目元のほくろに見覚えがあった。あたしの脚を縫った先生だ。

「うるせえな、ほっとけよ!」

 睨みつけて言ってやったのに、先生はおろおろと傘のなかにあたしを入れた。

「親御さんはどうしたの? 今日は熱が出るんだよ。おうちに帰って、安静にしておかないと―――」

「家には帰れないんだよ!」

 吐き捨てるように、あたしは言った。



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2008.05.22 | Trackback(0) | 触れて、キスして。

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